【才能という言葉をセレクトする人間に才能を感じる】
世の中に天才と言われている人間がいます。
スポーツ選手や科学者、成功を収めた経営者などに使われるようですね。
天才と言われている人達には共通点がいくつかあるようですが、
いくつかの共通点の中で、個人的に常々気になっている点があります。
「天才は自分のことを天才と思っていない。」
以前は、天才は天才すぎて自分が天才である自覚がないのかとも思ったことがあります。
実際にそんなことがありえるのでしょうか。
「あなたは天才ですね」
「いいえ、私は天才ではありません」
実際にこの受け答えがありえるのでしょうか。
プロスポーツ界で、数々の大記録や偉業を成し遂げた選手に対して天才と呼ぶことがありますね。
ぶっちぎりの1位。
だれも達成したことがない記録。
超人的な偉業。
その唯一無二の存在に対して天才と呼ぶ。
それに対して天才と呼ばれている対象は「天才ではない」と答える。
これは天才と呼ばれている人が天才と自覚していないのではないでしょうか。
「あなたは天才ですね」
「いいえ私は天才ではありません」
これは聞いたことがあります。
ですが、
派手に転んで半ズボンのひざから血が出ている人に対して
「ひざから血がでていますよ」
「いいえ、ひざから血が出ていません」
こんな会話を聞いたことがありますか?
また、
カレーを食べている人に
「あなたはいまカレーを食べていますね」
「いいえ、私はカレーを食べてはいません。」
もはや関わってはいけません。
異常者です。
中1の英語の教科書のイラストで
リンゴに指さして
「What is this?(これはなんですか?)」
「this is an apple(これはリンゴです)」
↑
くらい狂った会話です。
賄賂を受け取る政治家意外にありません。
「先生、つまらないものですがどうぞ」
「おやおや、これはなんですか?」
「(箱の底に札束がもりもり入っている)もみじまんじゅうですよ」
「ああ、もみじまんじゅうですか。これは本当に美味しいですもんねえ」
「はっはっは」
「はっはっは」
くらいです。
今思えば、あの、教科書のリンゴの中に金貨がねじ込まれていたのでしょうか?
おわかりでしょうか?
明らかな事実に対してそれを真っ向から否定することの異常性が。
これはシンプルに嘘つきなのでしょうか?
たしかに、思春期の中高生が、
髪の毛を染めて校則違反をしているとき
「髪の毛染めただろう」
「これは地毛です」という嘘はよく聞きました。
アメリカ人より金髪なのに地毛ですと言い張るあたり、これが本当のアメリカンジョークなのでしょうか。
この場合の嘘は、後ろめたさがあるのでよく理解できます。
「染めてないし、ブリーチ(脱色)やし」という一休さんみたいな、とんち系のやりとりもありました。
「お前染めただろう?脱色しただろう?」と畳み掛ける先生もいましたね。
天才が否定するのは、
この後ろめたいことがあるときの嘘なのかと考えればそれは違うのではないかと思います。
「あなたは天才ですか?」
「ドキっ!いいえ、私は天才ではありません。」
ありえないでしょう。
輝かしい記録を達成した選手に、天才ではなかろうかという最大の賛辞を送り、うしろめたくなる部分などないでしょう。
あるとすればドーピングや、禁止薬物を使用して
大記録を打ち立てた途端に、良心の呵責に苛まれてうしろめたい気持ちになるくらいでしょう。
むしろそこまでうしろめたい偽りがあるなら、
逆に、天才ですか?の問に
「天才だからじゃないですか?」と背伸びして、答えるほど内心ビビるはずです。
禁止薬物によって実力以上の成果がでてしまって、
自分ではなぜ記録を出せたか説明ができないのですから。
そもそも天才という意味ですが、生まれつき優れた才能を備わった人物となるそうです。
天才と言われる人のコメントで
「私は天才ではない。人より長く向き合っていただけだ」とかよく聞きますね。
つまり、生まれつきその能力に長けていたわけではなく、
その能力を伸ばすために熱心に長いこと打ち込んだという自覚はあるようです。
イチロー選手のコメントですが
「僕がなんの練習もせずに打てているなら天才ですが、違います」とのこと。
とてつもない結果を出す人に対して、
その人の努力や苦労も考えず、
簡単に「天才」という言葉で片付けるのは大変失礼なのではないかと思うようになりました。
「なんの努力もすることなく、初期設定で結果をだせた人。」というレッテルは、
賛辞ではなくもう侮辱です。
一方、天才という褒め言葉意外に、
「努力の人」なんていう褒め言葉もありますね。
「天才」「努力の人」もまたそれを否定する。
天才、努力の人は共通して
「おれほんまに努力したわー。ほんまに努力した。あー。最高に努力した。」
って言ってる人聞いたことがないんですけど。
めっちゃ努力してます。よりも「楽しいからやっている」とかが多いですかね。
以前、YouTuberのテレビCMで「好きなことで生きていく」みたいなコピーがありましたが、そんな感覚でしょうか。
努力している人は「努力している」とは言いません。
武士は食わねど高楊枝。
お腹が減っても満腹のふりしてます。
つらくてもすずしい顔してます。
白鳥は水面下で必死に足をバタつかせ優雅そうに泳ぎます。
「目標達成のための必要な作業」ととらえ、
「努力」とはとらえません。
いままで「なんでこんな努力してるのに結果でえへんのやろう」と言葉を吐く人で、リスペクトに値する人間は一人もいませんでした。
テレビゲームや、パズルと同じで、熱中してずっとやりつづけている感覚でしょうか?
その目標達成に「努力した!」という感情は芽生えません。
ポケモンをしていて「おれガルーラ捕まえる為にめっちゃ努力したわー」とか思ったことがありません。
夏休みに虫取りをしていて「もっと努力しないと。本当につらいけど、努力だ。」とか思ったことありません。
そもそも努力ってなんですか?
生まれてからほとんど使う機会がなかった言葉なのでよくわかりません。
努力。の字の意味はなんですか?
女の又に力がふたつ。
女のマタに力×2?
下ネタか性行為かなにかですか?
とかいうくらいピンときてません。
天才とか努力の人とか色々言いたくなるのはわかりますが、
当の本人達は自分が天才とか努力の人とかいう自覚がないし求めてはない言葉だと思うので、
ただただ賞賛して結果のみを褒め称えてあげてほしいと思います。
結果を褒められて、本人はそれまでの過程を懐かしんで感慨に浸るでしょうから。
余談ですが、その道の能力に長けている人に功績を讃える際に贈る言葉のセレクトとして素晴らしいと思ったことがありまして、
「すごい!才能発揮やね!」
という「才能」を用いた褒め言葉。
「才能」
個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。
という意味ですが、
「才能を発揮しましたね。」とか
「素敵な才能をお持ちですね」などの言葉は、
その人の功績を褒めるばかりか、
その過程も褒め、
さらにはそれを成し遂げようとする行動力や、意志の強さも含めて褒めており、
褒め言葉のセレクトとしてはフルコースで褒めちぎる、すごく素晴らしい言葉と思っており、
その言葉を発することができるその方の心の綺麗さを大変リスペクトします。
人を幸せにできる言葉を口にできる人は素敵だなと、思います。
ちなみに余談すぎるくらい余談ですが、
自信満々の美女(私を見なさいと言わんばかりに我が物顔で公道のど真ん中をランウェイのごとく堂々と歩く美女)に対して
「とても美人ですね」と伝えたとしても
「そんなことありません」と否定しますが、
このパターンは自覚のない天才のそれとは違うパターンと思いますので、混同されないようお願い申し上げたいのと、
このタイプがホストに貢ぎまくって捨てられた際は自分ことを棚に上げ、
「彼のために精一杯努力して尽くしたのになんで幸せになれないの?」とか言うパターンですので、
絶対に天才の方々と混同しないよう重ねてお願い申し上げた上で、
暑中見舞いに変えさせていただきます。
※めっちゃ細くてスタイルのいい女性に「スタイル良いですね」といって
「いやめっちゃ太ってるやばい」と言って
一緒にいるかなり太めの女友達を置き去りに拷問のようなトークをする方の特徴として「いや細いやん」と褒め続けると「いや太ってる。服で隠れてる部分やばい」とか返ってきますが、褒め殺しを追撃したとしても「じゃあ服の中を実際にお見せします。」というサービスには発展しませんので男性の方は期待せずそのまま帰りましょう。
外は暑いですので熱中症対策は万全に。